_左右って良く間違えるよね.え,そうでもない?
_私自身は結構左右に関して混乱することが多い.多分私だけではないと思うのだが,実際どうなのだろう.「そこを出て右」と言われて素で左へ行き,「そっちは一般的に左という」等と言われてしまうのである.困ったもんだ.これに対して,基本的に上下を間違えることは殆どない.何故か?
_上下が反転する状況というの日常生活においては滅多にない.誰にとっても下が地面で上が空,あるいは下が床で上が天井である.なので滅多に間違えない.しかし,左右に関してはよく反転する.たとえば電車に乗っていて「右側の扉が開きます」というアナウンスを聞いたとき,実際にどっちが開くかにわかに分かるだろうか? 私の場合,これを判断するには,まず自分が進行方向に向いていることを想像してから,左右を判断する必要がある.もっとやってみよう.自分の方へ向かってくる人物を誰でもいいから想像する.そこで更にその人物が右手を上げたところを想像する.さて,その想像上の人物は一体,本当はどっちの手を上げたのか? これを早押しなんかでやってみると,自分から見て右側の手を上げるところを想像する人も少なくないのではなかろうか.だがそれは,その人にとっては左手である.
_そんなわけで左右は間違えやすいのだよ等と言ってみたかったのだが,実は上下左右に加えて前後というものが存在し,これに関しては確固たる感覚があって滅多に間違えない.先ほどやってみた,自分の方へ向かってくる人物の想像は,自分にとっては後ろへ向かう方向であるにも関わらず確かに自分との距離を詰める方向で想像したはずである.とすると単純に日常生活での扱いの違いが間違えやすさの差になっているというのはどうも説得力に欠ける.おおむね脳そのものの機能として全然別になっているんだろうと思うが,実際どうなんだろうな.目が左右についてるとかそういうあたりが問題なんだろうか.
_ところで何故か関東人は,東西南北について南北を上下,東西を左右で言う人が多い.東西南北に関しては地図の向きが変わっても自分の向きが変わっても地球上に居る限り一定だが,上下左右に関しては主観によってズレが生じる.大体,上といったら重力に反する方向のことで,階段なりなんなりで昇りたくなるではないか.高層ビルが立ち並び,電車が地下を走る都会では尚更である.このため私はよく東西南北を使えと要求するのだが要求が通ったためしがない.ま,この辺のことはどのみち表現の問題でしかなくて文脈で判断可能なので,事実上問題はないのだが.要求するたびに田舎人だと思われるんだろうな.しかし,東西南北を使っていても南北は滅多に間違えないにも関わらず東西はよく間違えるあたりを考えると,結局東西南北は俯瞰の状態で北を上にして上下左右で考えているということで,だったらそのまま上下左右でいいじゃん,というのももっともな気がしてきたりもする.
_他にも混乱する状況というのがあって,回転方向である.よくあるのが環状線で,ここ最近名古屋の名城線が環状化したわけだが,これが右回りだの左回りだのというのでそこそこ困る.この右回り左回りというのは円を俯瞰した状態で,円の上部を見て決定するわけだが,円を裏側から見たり,表から見ていても円の下部を見ていたりすると回転方向が逆になってしまう.まあ鉄道をわざわざ地下から見上げる形で想像する人は少ないだろうが,上部か下部かに関しては子供の頃つむじの巻き方向で混乱して以来苦手なままである.なのでいつも見るのは右回り左回りと一緒についている英語標記で,これがclockwise,counter-clockwiseと書いてあって,少なくとも上部を見るか下部を見るかでの差はなくなる.もっとも今度はアナログ時計を知らないとさっぱりわからなくなるのではあるが.これに対し東京の山手線は外回り内回りというらしい.解釈の自由度的には時計回り反時計回りと同等なのだが,こいつはこいつでアナログ時計は知らなくていいが今度は電車が左側通行なことを知らなくてはいけないという問題があって,どっちがいいのか悩みどころである.事実知らなかったし.いや,アナログ時計の針の回る方向は知ってるよ? 山手線の英語表記に関しては知らないが.
_ところで東西南北は地球上に居る限り一定とか言ったが,そいや南極点か北極点の場合,南北は重力方向の意味で上下方向でいいとして,東西はどうやって決定するんだろうな?